アマオケ奮闘記、目次3ページへ
2016年5月22日(日):奈良県文化会館国際ホール
客演指揮:井村誠貴
ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」序曲
ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」第2組曲
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調作品92 1楽章 2楽章 3楽章 4楽章
シューベルト:『キプロスの女王ロザムンデ』作品26より第3幕間奏曲(Encore
すべての繰り返しありの演奏
すごかった
井村氏よりいただいたコメント
▼ DVD集に寄せて 奈良交響楽団 井村氏の創立した市民オケに入団したのは私が26才で、練習場の近くの会社に就職してのすぐのことでした。中之島中央公会堂での練習は毎週金曜日でした。井村氏は毎週、楽団通信を書かれていました。そこには各パートごとの出席率が書かれていました。毎回の練習を本番のつもりで参加することが大切と思われていたのでしょう。▼ また練習場の予約はいつも井村氏が、仕事を犠牲にしてまで一人でされていました。氏は、住宅新聞に勤務され営業の合間にされていたと聞いています。途中で退社された理由が、そのことと関係しているようで、仕事以上に音楽やオーケストラ運営に情熱を傾けておられたせいでしょう。▼ 入団してしばらくして、なにかの用事で氏のお宅に行きました。その時の定演の曲は「運命」でしたが、氏はなんと運命のLPレコードを50枚近く持っておられました。LP50枚聴き比べして勉強をなさっていたのでしょう。びっくりしました。▼ 氏はまた市民オケの低弦のトレーナーとして大フィルからコントラバス奏者の木村俊明氏を呼びました。▼ おかげで私たちCB、低弦はプロから手ほどきを受ける恵まれた環境 | になりました。1か月に一度は土曜日の特訓、また木村氏の自宅での練習とプロのCB奏者との指導のもと、めきめき市民オケのCB低弦のレベルは向上しました。▼ これも井村氏が、木村氏を市民オケに呼んでくださったおかげです。私は大学時代プロからの指導を受けたことがなかったので、市民オケでの12年間が今の私の音楽の基礎を作ってくれたと思います。▼
1983年夏、臨時総会において井村氏は、団長を辞任されました。残念なことでした。1988年私は奈良に引っ越し市民オケを退団しました。そして2年後、創立20周年の市民オケの懇親会があり、井村氏もこられていてスピーチをされました。「私は市民オケを去ったが、一日たりともこの団のことを忘れた事はありません。」と。わたしは井村氏はわが子のように市民オケを大切に思ってこられたことを感慨深く聞きました。▼
いま、大阪市民管弦楽団は関西のアマオケでトップクラスです。創立から13年間団長を務めて基礎を作ったのは井村氏です。そういう意味でも井村氏は関西のアマチュアオーケストラの産みの親でしょう。▼
井村氏指揮、最後の曲「ベト7」をその息子さんの井村誠貴氏の指揮で33年ぶりに再び演奏できるのもの感慨深いものがあります。 ▼ 2016年4月 |
ベト7は最高に盛り上がりました
なんと、指揮の井村氏は、市民オケ時代の息子さん。父さんのDVDを進呈したらとても喜んでいただいた。
DVD紹介
新アマオケ放浪記 2
2016:1 から