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1976年〜1988年 大阪市民管弦楽団在籍  活動記録 J


相良氏無念の転勤、転がり込んだコントラバス首席

27  1986
6. 6(金) 
厚・中  幻想序曲「ロメオとジュリエット」(チャイコフスキー)/組曲「くるみ割り人形」(チャイコフスキー) 木村 俊明  
交響曲第6番へ長調「田園」(ベートーヴェン)  
28  1986
11.29(土) 
厚・中  歌劇「魔笛」序曲(モーツァルト)/ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調(ブルッフ) 木村 俊明 沢  和樹(Vn)
交響曲第4番ホ短調(ブラームス)  
29  1987
5.23(土) 
シ  歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(グリンカ)/バレエ組曲「火の鳥」1919年版(ストラヴィンスキー) 木村 俊明  
交響曲第9番ホ短調「新世界より」(ドヴォルザーク)  

 コントラバスのリーダー、そして副楽団長と登り詰めた氏は、惜しくも29回定演を最後に転勤のため退団されました。やはりエリートサラリーマンは転勤がつきもの。しかたありません。氏とのつきあいは、氏の入団から始まります。(私が先に入団)氏はさすが大手の第一線の営業マン。コントラバスの腕前は1番の上、年下ながらコントラバスみんなをまとめる力もあり、優れたリーダーでありました。
 

                      昔話
入団当時は、私も氏も独身、氏は寮におられ、私は親の家の隣り合わせの古家に別に1人ですんでおりました。私の住む古家はよほど住み心地がいいのか、多くの独身市民オケメンバーが泊まりました。氏はなかでも連続2泊3日された最長記録をお持ちです。すなわち練習の終わった金曜日の夜から土曜日、そして次の日曜日と。今宿泊代の請求をしたらよかったと,反省しております。(食事代を含む)


 私をコントラバス首席に決め、氏は転勤された。

 29回定演が終わり、いよいよ30回記念演奏会の練習が、始まっていました。なんと30回定演の曲は市民オケ創立後、初めてのマーラーの曲です。巨人です。3楽章にコントラバスソロがあるのです。すなわち首席であることは、ソロが弾ける、弾かなくてはいけない、という、うれしいような、おそろしいようなことなのです。相良氏は、私にその重責を任せ、転勤されていきました。

 次のページはもちろんその演奏会のページです。
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