よみがえる25年前の初期東大阪第九合唱団の演奏会

DVD表紙

第九と共に
DVD制作者 azuma kouzou

 「ブラボー」が聞こえてきました。2009年12月20日
   私は22年ぶりに、この会館の舞台にたちました。


〈近大文化会オケでの第九〉
 25年前、私は大阪市民管弦楽団にいました。指揮の木
村先生が,「近畿大学のオケが、第九をするがコントラバ
スが足りないのでやらないか。」との呼びかけで原田さん
と近大OBの山本さん3人がトラで参加することになりま
した。第九は市民オケで2回経験していました。練習で
は現役の部員が一人で、あわせて4人でした。練習にも
何回も通いました。当時私はこの会館の近くに住んでい
ました。生まれ育ったところなのです。
 演奏会当日、妻は買ったばかりの、ホームビデオを2
階の最前列中央で撮影しました。(このDVD)その後、
4,5回定演でも第9を演奏させていただきました。
しかし6回目の時は、奈良にひっこし市民オケも退団
し、市民会館の舞台に上がることはできませんでした。

〈城東区第九演奏会を知り、近畿フィルに入団〉
 この年の暮れ、近畿フィルのホームページで2009年
2月に城東区で第九の演奏会があることを知り、年が
明けて2009年1月、近畿フィルに入団しました。
2月15日木村先生指揮の下、城東区第九演奏会で
演奏ができ、全楽章の演奏で満足しました。

   〈ふるさと東大阪での第九演奏会〉
2009年12月、今年も第九の月がやってきました。
市民会館での第九は1987年から数えて、22年ぶりです
再び、この会館の舞台に立つことができました。
この間、東大阪第九合唱団は、東大阪第九シンフォニ
合唱団と名を変えましたが、通算30回目の演奏会にな
ます。
 近畿大学文化会交響楽団は近畿フィルハーモニーと
名を変えましたが、この合唱団とずっと第九を演奏して
きました。
 いまは、住まいをかえていますが、これからも12月
年末はふるさとに帰って、第九を演奏することは、こ
からも大きな喜びとなっていくことでしょう。
最後になりましたが、木村先生、東大阪第九シン
フォニー合唱団、近畿フィルに感謝申し上げます。
〈20年間第九からはなれる〉
退団後はどのオケにも入いりませんでした。でも12月
ごろは、第九のパート譜を出して一人で弾いたりしてい
ました。市民会館の第九の演奏会にも聞きに何度か足を
運びました。故郷で聞く第九といったところでしょうか。
 オケを離れて月日は過ぎ、十数年ぶりに地元奈良交響
楽団に入団しました。しかしながら、入団して三年目、
演奏会の日が、仕事と重なり一度退団しました。次の演
奏会にはもどるつもりでした。

  〈芦屋フィルでの第九〉
ある日、原田氏より、芦屋フィルで第九があるので、
トラで出ないかとの話があり、ちょうどどの団にも所
 属していなかったので、喜んで承知しました。ところ
が、芦屋にはCB団員はいず、わたし一人でした。
 20年ちかく第九を演奏していないし、また、練習では
 CBは 一人、ちゃんと弾けたあたりまえのトラという
 立場はかなりの重圧でした。2006年、2007年は芦屋で
 の演奏はやりがいありました。しかしながら2008年は
 四楽章のみの演奏でした。
 全楽章演奏したいとの思いが強く心に残りました。
そして2008年暮れ、東大阪市民会館で第九を聞きました。
25年後の2009:12:20の演奏会
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