西暦 660年頃、生駒明神に参詣の析りご神託により鳴川の里に入り、小さな草堂を建て、漆の木で千手観音を刻み、日夜
荒行に励まれたとのことです。
その小角の身を案じた自専女(母)は、従者と共に鳴川の里に登り、小角と共に修行しました。
ある日、小角が遠見ケ嶽に登り南の方を観ると、多くの山々の中に不思議な光を放つ山を見て霊威を感じ、母を鳴川に残し 二匹の鬼を従えて此処より南へ二上山・葛木山・金剛山・友ケ島を経て熊野ヘ、熊野から大峰山系に入り 山上ケ嶽に登り、ここを修行根本道場と定められ、小角が大峰山へ行かれてからも、母 白専女は鳴川の里に残り修行を続けられとのことです。
ゆえに、後世の人々は鳴川千光寺を”元の山上”と呼び、“女人山上”と称し、女人の修行道場として栄えました。
天武天皇の御宇白鳳12年勅願により千光寺と号し五百石を下し賜われました。