好きな音楽家 ベートーヴェンについて A
BBC 1997年 Primetime TV 提供
NHKBS放送 音楽ドキュメンタリー 大作曲家 ベートーベン より
なんと、NHKより本を読み終わった頃、放送されるではないか
ベートーヴェンの遺髪についてが、冒頭放送される
1995年12月の暖かいある日の午前、ニ世紀近くものあいだガラスのロケットの中に収められていたべ-トーヴェンの遺髪が、今や熱い注目の的になろうとしていた。
アリゾナ大学医療センタlの実習用手術室
直径10センチ強の、楕円形の黒っぱい木の額に収められている、茶色と灰色の細い髪の輪は、ニ枚のガラスのあいだに密閉されていた。ガラスの一枚は凸面だった。
ガラスをはがしはじめたとき、真空だっだみたいに、シュッという音がした。
一同が興奮しているのは感じ取れた。少なくとも八十年間で初めて、いや、おそらくそれ以上に長い年月を経て初めてべ-トーヴェンの髪が、まさしく外の空気に晒されたのだ
ケースの裏にはパウル・ヒラーの署名
この髪は、ベートーベェンが死んだ翌日、すわなち1827年3月27日に私の父、フェルデナン・フォン・ヒラーによって遺体から切り取られ、1883年5月1日に、ケルンで私の誕生日に贈られたものである。
遺髪の購入し、調べる
アルフレード・チェ・ゲバラ氏
デンマークで遺髪を持っていた、ミシェル・ヴァサー・ラーセン
(ギリライエ町医者の養女)

ベートーヴェン毛髪の研究は、1994年、ベートーヴェン研究家アイラ・ブリリアント氏とアルフレッド・ゲバラ氏がロンドンのサザビーズで毛髪を落札したのが始まりです。その後DNA鑑定の末、彼の病気に関してさまざまなことが判明したのですが、この毛髪を巡る歴史的な展開は「ベートーヴェンの遺髪」(白水社)という本にまとめられています。2人が遺髪を落札して、鑑定を依頼する話とは別に、170年の間、遺髪がどういう経路を辿って競売に付されたのかを探っています。
1827年、ベートーヴェンが他界した時、弔問に訪れた音楽家のフンメルと弟子のヒラーが、遺髪を切り取りロケットに収めたのが「運命」の始まりです。ヒラーが死の前に息子のパウルに譲り、1911年、パウルが形見のロケットを修理に出した後、遺髪は数奇な運命を辿っていきます。その後遺髪が確認されたのは、ナチのユダヤ人迫害が強まった時代、デンマークの港町ギレライエの町医師のところでした。ユダヤ人であったヒラー家とナチ時代の迫害、そしてデンマークへの移動と、ベートーヴェンの意思とは関係なく、遺髪は歴史の流れに翻弄されました。最後に、ベートーヴェンが生前弟子に託した中で、自分の病気の解明というのがありましたが、この遺髪のおかげで、少なくとも彼を終生悩ませた下痢や腹痛に関して大方の原因が解明されました。
作曲家の病歴2. ベートーヴェン
より引用しました。
これがベートーヴェンの遺髪
参考
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NHKよりテレビ画像編集
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