1989年1月、退団
31 | 1988 6. 4(土) |
シ | 小組曲(ドビッシー/ビューゼル編曲)/コントラバス協奏曲嬰へ短調(クーセヴィツキー) | 木村 俊明 | 奥田 一夫(Cb) |
交響曲第6番ロ短調「悲愴」(チャイコフスキー) |
32 | 1988 12.7(水) |
シ | 歌劇「フィデリオ」序曲(ベートーヴェン)/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」(ベートーヴェン) | 木村 俊明 | 奥 千恵子(Pf) |
交響曲第2番ニ長調(シベリウス) | 金 洪才 |
マーラー巨人の演奏会も終わり、31回定演ごろはコントラバスメンバーは転勤で多くさりました。道下氏、菊沢氏、相良氏、原田氏の4名です。
私は大阪から、1988年奈良に引っ越しました。練習が終わってすぐ家に帰っても10時半ごろになり、市民酒場に寄るのも控えるようになりました。時間よりやはり4名の飲み仲間と別れたことがおおきかったのです。
32回定演後、1月、団長に退団願を郵送して退団しました。自己都合でやめ、団の役員及び、残ったコントラバスメンバーにご迷惑をかけたことを、お詫び申し上げます。
12年間多くのことを学びました。ありがとう。
@ 多くの曲を経験した。特にベートーヴェンの第九は近大オケの応援(4回)を含め6回の演奏経験が出来た。
A 20代半ばから30代半ばの同じ世代メンバーが多く、楽しく友達としてつきあえた。
B 低弦トレーナー木村氏(プロのコントラバス奏者)により、多くの的確な指導を受け、音楽的にも技術的にもめぐまれた。 最後に女性メンバーにもてもて(?)のコントラバスの面々(新年会松下宅で1981年1月3日)
ありし日の青春の1ページ(撮影相良氏)
アマオケ奮闘記、大阪市民オケ編 完
追加2003年2月1日 14年後の同窓会(次のページ) 関係者のみご覧ください。